2010年11月17日
両親がいたからこそ今の自分がいる
中村学研究員in沖市西塾(参加52名)
11月4日(木)沖市西塾(中の町公民館)に中村学青年担当研究員が講話者として参加した。初めに前日の合同おはよう倫理塾(講話者金城えい子専任講師)の出席者が215名の動員があったことを祝福し、夕方に行われた青年学習会の参加者が17名いたことにお礼を述べた。その後、自らの生い立ちを語った。
父親がギャンブルで借金をつくり、貧しい家庭生活を送り、そんな生活が嫌で友人の家を泊まり歩くようになった。そこで友人が参加していた倫理の青年活動に一緒に参加、栞の第三条「運命自招」に感銘を受け入会を決意、しかし、父親に対する恨みは消えなかった。そんな矢先、父親が自殺、自分を責める毎日が続いた。また、倫理の活動もおろそかになった。しばらくして母親も肝臓ガンで他界、心を入れ替え倫理の活動にも積極的に参加、青年部長の役も受け、奥さんと知り合うことができた。
そして、研究員に憧れ、研究員を志すも、結婚のことを考えたらどうするか悩んだが、奥さんの両親も倫理を学んでいたおかげで、結婚の条件として倫理運動に生涯をささげることを出され、逆に背中を押され驚いたと述べた。
最後に、今の自分があるのは両親のおかげ、これからも感謝を忘れず人生を送っていきたいと結んだ。
質疑応答では、研究員として活動を始めて間もない頃、全国支所会議の後の食事会の席上、当時上司だった田形健一常任理事に「うなぎを均等に切って分けなさい」と言われたが、近くに皿がなかったのでおつゆの受け皿に出してしまったところ、すごい剣幕で「俺は犬猫か顔も見たくない」と怒鳴られ、しかも、そばにいた内田文朗理事に「田形局長を亡くなった父親と思って叩きなさい」と言われ、何がなんだかわからないまま叩いた。後に二人に話を伺ったところ、自分の父親に対するトラウマが敬の心を忘れさせていた。ことを見抜かれて、わざとそうした態度をとっていたことに、上司の能力のすごさを知らされたというエピソードも披露した。

講話する中村学研究員

中村研究員の話に耳を傾ける沖市西塾の皆さん
Posted by はいさぁ~い中部 at 05:38│Comments(0)