2012年02月11日

親をとおして神仏にかえる

役職者テキスト研修

 1月29日(日)中の町公民館にて、田上不折管区長を講師に役職者テキスト研修が行なわれ、昼はユインチホテルで沖縄県実践報告大会もあって一日、倫理一色でもあったが、お疲れのところを53名が参加して熱心に学んだ。
 テキスト第5講「丸山敏雄クロニクル(年代記)」に沿って進められた。丸山敏雄は研究していた古代史、国史に行き詰まり、大学に入って斯道の大家に就いて国史国体の研究をするほかないと考え、37歳であっさり教職を辞し、大学進学の道を選ぶ。学問の恩師、西晋一郎(倫理学の第一人者)から倫理の論理的基礎を学ぶ。しかし古典に記されている、常識では理解できない奇跡的な出来事を学問的にどう解釈するか、という大問題に答えが見出せない。
 そんな折、敏雄の運命を変える一つの出来事があった。「ひとのみち教団」との出会いである。親友から西晋一郎の倫理と教団の教えが一致するという紹介、そして奇跡的な出来事が起こるという話に、心を動かされ入会する。真理の恩師、御木徳一との出会いである。厳しい修行を積み、熊本支部長として派遣されると、たちまち手腕を発揮して、大支部に発展させた。その功績が認められ、入団二年後には、早くも准教祖に任命される。
 昭和12年、敏雄44歳の時、大阪府曽根崎警察署に突然、検挙される。不敬罪である。第二次世界大戦を予感させる不安な時代を背景に起きた「不敬事件」と呼ばれる大弾圧劇の一コマである。大小の宗教団体は徹底的に弾圧され、解散に追い込まれた。教義・教団の活動等が不敬罪に当たらないことを真正直に答弁し、ただ一人、節を曲げなかった。来る日も来る日も、拷問に明け暮れた。このとき、激しい殴打の中に、敏雄は不思議な体験をした。
 牢獄の冷たい壁に向かっていると、父母の顔が二人並んで浮かんでくる。その父母の目から涙が流れているではないか。真理探究のために志した道であり、今の境遇はまったくのぬれぎぬとはいえ、こうして罪人としての扱いを受ける結果に至ったについては、やはり親への申し訳が立たなかった。父母の涙が、自らの涙となり、三人で泣く、涙の交流が続いた。親不幸を心の底から詫びた。
 この体験が後に敏雄が悟った「親をとおして己の生命の根元にさかのぼれば、そこに神仏にかえる。敬神崇祖、即宗教に入ることが、真の人となるゆえんは、ここにある」の糧となるのである。
 田上管区長は「倫理の学びも、ただよかった、感動したで終わらないようにそれを生かすこと(実践すること)が大切。実践の対象は家庭内のだれかにある。どんなに社会的地位があっても、親との関係が悪ければ本物ではない。倫理の実践は足元にある」と締めくくった。
親をとおして神仏にかえる
 田上管区長の話に熱心に耳を傾ける



Posted by はいさぁ~い中部 at 15:12│Comments(0)
 
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